宮木あや子『校閲ガール』を読んで②
昨日も宮木あや子著『校閲ガール』の感想を書きましたが、まだ書いておきたいことがあったので、今日も書きます。
『校閲ガール』の最後のほうに
人はえてして自分を中心に物事を考える。藤岩にとっては藤岩の日常が常識であり、悦子にとっては悦子の基準が常識だ。互いの常識を超えてふたりで食べた夕飯は結構楽しかった。
という一節があります。
この一節を読んで、妙に納得してしまいました。当たり前のことかもしれませんが、改めて文章で読むと「本当にそうだなぁー」と思ってしまいます。
私は私の常識で物事を考えます。以前、大学生だった頃、同じ大学の友人たちと台湾旅行に行ったことがありました。
あの時、私は「JALで行こう!」と提案。
他の友人たちに、「JAL??高すぎるよ!LCCでいいじゃん!」と反対されました。
金銭感覚の問題というか、当時LCCはまだ新しく、情報も少なかったので、LCCに乗るのが不安だったんです。友人たちはJALは高いと言いましたが、往復で45000円。LCCでも35000円。「たった」10000円の差じゃないか!と私は思いました。
それでも友人たちは、「10000円の差はデカイ!10000円あったら台湾で美味しいもの食べれるじゃん!」と譲りませんでした。
それでどうしたかというと、結局私が折れて、LCCのジェットスターで行くことになりました。
10000円の差だったら、LCCじゃなくて、JALやANAを選ぶという私の常識は、友人たちには通用しませんでした。
まあ、結果的に、「JALでもジェットスターでも、飛行機に乗っている時間は一緒か!JALだからってはやく着けるわけじゃないなら、LCCでもいいかなっ!」と考えを改めましたが(笑)
こういうことってよくありますよね。
私はAがいい。
いやいや、Bのほうがいいって!
えっー!Cのほうがいいんじゃなーい?
みんな自分の常識で物事を考えるから、何かを決める時の基準も違ってくる。みんなマイルールがあって、マイルールから外れるのが嫌。
やっぱり相手のことを知ることが大切。知ろうと努力することが大切。
自分の意見を押し通せれば、それはそれで達成感があるかもしれないけど、自分の意見が通らなかった人は悔しいおもいをする。
まずは話し合って、相手の意見もしっかり聞く。譲れないこと、ここは譲ってもいいかなと思うこと、みんなそれぞれあると思います。
話し合ったうえで、お互いのマイルールが重なる部分を探す。時間はかかるし、面倒かもしれないけど、急いで結論を出す必要がないのなら時間をとって話し合ってみるべき。
って...これも私の常識。他の人は「そんな面倒なことできねぇよ」、「なんで他人の意見に合わせなきゃいけねえんだよ」が常識かもしれない...
他人と関わっていくのは難しいことですね..
では!